コーヒーを確立させた、熱心なイスラム教徒「スーフィー」の話。

熱心なイスラム教徒

「スーフィー」によって

コーヒーが確立された。

熱心なイスラム教徒「スーフィー」とは?

イスラム教徒は基本的に

「シーア派」と「スンニ派」

に分けられることが多いですが、

「スーフィー」は、

どちらの宗派にも属することのない

神秘的主義、すなわち、神と合一をめざす人々であり、

全くの別のものと認識とされています。

 

「スーフィー」という名前は、

荒野で「スーフ」(羊毛)を着た、熱心に苦行する人々

に向けられた名前。

 

彼らの思想や熱心な行いである、

「スーフィズム(精神)」が、コーヒーのもたらす作用と合致。

 

これにより、コーヒーはスーフィーによって、正当化され、

瞬く間にイスラム教、世界への広がりを見せていきました。

 

スーフィーの人々は、どのように正当化したのでしょうか?

 

スーフィーによる「コーヒーの正当化」

スーフィーによって、どのようにコーヒー正当化されていったのか?

まずは、スーフィズムとコーヒーの作用の合致を知っておく必要があります。

 

スーフィズムとコーヒー作用の合致
  • 「夜間の祈り」↔︎「眠気覚し」
    ⇨スーフィズムにとって、夜間の祈り、すなわち、「日が沈んだ後」「皆が寝静まった後の祈り」というのは、神に対する忠誠心であり、良い行いとされていた。コーヒーには「眠気覚し」の効果があり、スーフィーたちは、より集中して祈りを捧げることができた。
  • 「禁欲主義」↔︎「食欲低下」
    ⇨スーフィズムは、禁欲主義であり、欲を我慢することが良しとされている。コーヒーにはよくよくを抑制する効果がある。
  • 「美意識の追求」↔︎「ダイエット効果」
    ⇨イスラム教徒にとって、「細身」というのは「美」を意識するところであった。コーヒーを飲むと痩せると言われ、現代でもダイエットに用いられている。

他にも様々理由はありますが、これだけ見ても、

スーフィーがコーヒーをポジティブに捉えるのは納得です。

 

スーフィーたちはやがて、

コーヒーを飲むことは、宗教的意味も含めて、

神聖なものと認識していくようになり、

さらに、コーヒーを広げようとしました。

 

しかし、コーヒーの普及においては、大きな問題が…

 

コーヒー問題とスーフィーによるコーヒーの確立化

スーフィーの人々は、コーヒーを広めようと努力しましたが

様々な問題に直面しました。

 

スーフィーが直面した問題
  • 「カフワ」だったため、ワインと混同された。
    ⇨イスラム教では、アルコールは禁止されています。当時まだコーヒーは「カフワ」と呼ばれていて、ワインと混同されたために、懐疑的な目を向けられました。
  • コーヒーを息で冷ます行為はNG。
    ⇨イスラムでは、息には生命が宿るとされているので、むやみ吐き出すものではない、また、湯気や煙は、悪魔の象徴とされているため、コーヒーを飲むことはまさに神への冒涜とされた。
  • コーランでは「炭」を食べることを禁じられていた。
    ⇨コーランでは、炭を食べることを禁止されているのだが、コーヒーは当然、ローストして飲まれていた。そのため「コーヒー=炭」ではないか、という指摘があった。

このような問題に直面した、スーフィーたちは、

コーヒーの正当性を解くために、立ち向かいました。

 

コーヒーは、

アラビア諸国や、東アフリカのスーフィーの間で、広がっていきましたが、

その懐疑的な目は、中々晴れることはありませんでした。

そんな中、「メッカ事件」が起きます。

 

ある日、スーフィーたちが、夜な夜なモスクの近くで、集まってコーヒを飲んでいたところが発見され、コーヒーの存在の是非と問う会議にかけられました。

 

会議の結果

「コーヒーは、悪影響があるもの」

 

こうして、コーヒーは一気に弾圧されていきました。

 

しかし、実際の会議では、満場一致の結論ではなく、当然コーヒーの存在を認めるハト派もいました。

彼らは、会議終了後に、議事録をカイロに送ったところ、

「コーヒー自体の禁止ではなく、反宗教活動に関しては取り締まる」

という結論が帰ってきました。

 

そして、メッカでコーヒー弾圧を実施した総督は、

すぐに解雇されました。

 

  • コーヒーはブドウから作られる訳ではないので、ワインとは別物
  • 全ての植物は、神からの贈り物

 

このように、コーヒーを容認する考え方が広がりを見せたことで、

コーヒーの存在は、瞬く間に広がり、

コーヒー弾圧が行われたメッカは、

「コーヒーのメッカ」として栄えました。

 

こうしてコーヒーは、

「イスラームのワイン」として

世界に向けてスタートラインに立つことに。

 

スーフィーの人々が、神を信じ、コーヒーを信じた結果、

彼らによって、コーヒーの存在は確立されました。

まさに

「コーヒーは、スーフィーによって確立された。」

といっても過言ではないですね。

 

「コーヒーの家」が誕生

 

コーヒーは各地に広がりを見せ、

シリアで「コーヒーの家」(Coffee House)が誕生。
(HakimとShamsによって建設。彼らがスーフィーかは不明)

 

さらに「コーヒーの家」も爆発的普及で

イスタンブールに約600ものコーヒーの家が誕生したと言われています。

 

カーヴェハーネと呼ばれる、ワインを提供していた酒場は

メニューからワインを外し、コーヒーを取り入れることで、

その正当性を示していきました。

 

そうして、「コーヒーの家産業」が大きくなるにつれて、

金持ち商人たちが介入するように。

彼らは、コーヒーの家を買い、煌びやかに装飾し、

豪華になったコーヒーハウスは、人々の引きつけていきました。

 

また、コーヒーハウスは、「社交的な場」という魅力もありました。

人々が集い、語らい、共に時間を過ごす。

 

このような、新たな「コーヒーの形」は、イスラム圏だけではなく、

ヨーロッパ人もその存在に興味を抱くようになっていった。

 

そう。

コーヒーは、まさに世界に向けて、羽ばたこうとしていました。

 


 

面白いことに、

神秘主義の(現世を否定する)スーフィーたちによって、

コーヒーは広がりを見せた一方で、

コーヒーは「社交的な場」として活躍。

 

すなわち、現世に溶け込んでいく。

 

この矛盾は、面白いですね。

 

当然、スーフィーの中には、こうした動きに前向きではない者もいたにしろ、

その存在感は、スーフィーの信じた珈琲の存在よりも圧倒的に大きかったようです。

 

今回の参考資料


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